ありがとうの功罪
些細なことにも気づいて、ありがとうって言う。
感謝の気持ちを忘れずに。
確かにその姿勢は大事だし、人間関係を円滑にしていくためにも必要だ。
親であれば子にそう教えるだろう。
里帰りしてるときに、母から
「なんでもなんでも、ありがとうって言うんじゃない」
って全く反対のことを言われて驚いた。
ありがとうの安売りは、自分の負担を増やすのだってのが母の理屈。
確かに…
「洗濯したよ」
「ありがとう」
「お皿洗ったよ」
「ありがとう」
「ちゅーたん、寝たよ」
「ありがとう」
結婚当初は共働きで、家事はその時できる方がやれば良いからって一緒にしてた。あえて分担って線引きもしてなかった。
でも、「ありがとう」と言うことで、家事に関する主導権を知らず知らずのうちに自分サイドに引き入れてたんじゃないだろうか。
「ありがとう」と言われることで、夫にも、すべきことをしたと言うより、協力したって感覚を植え付けてたんじゃないだろうか。
不本意!不本意!!
私が、「片付け終わった」「ちゅーたん、寝た」とか言っても、夫は、ありがとうとは言わない。
あぁ…時すでに遅し。
自分サイドのことじゃないんだな。
他にもある。
「夫は、家事にも育児にも協力的」
文句を言わずに感謝を示すことで、それはそれは協力的だ。
ただ、もう、こう言ってる時点で、主は私で夫はサブだ。
育児と仕事の両立…
こんな台詞は夫からは出ない。
もう、これは無意識の世界だからなー。
仕事への復帰を考えると、夫にも家事も育児もできるように…とか思ってたけど、自分のありがとう大安売りのせいで、首閉めてるなぁ…
復帰できるのか、悩む理由の1つです。