座標の外の友人
最近、Facebookで、昔の友人と友達になった。
この表現自体変な感じ。
「友人と友達になった」
それは良いとして、過去知り合った人はたくさんいるけれど、頻繁に会う人も連絡をとる人もいない。
年に数回メールするかな?ってのが、3人くらい。
よく考えてたのが、
過去知り合ってもう二度と会わない友達と、
亡くなってしまってもう二度と会えない友達
私にとって変わらないなーと。
亡くなってしまった友達の方が頻繁に思い出すし、夢にも出てくる。
二度と会わない友達の中には、二度と思い出さない人も、名前すら忘れてしまった人もいるんだろうな。
多分、お互い様だけど。
そんな私にとって、Facebookやミクシィってのは画期的だった。
忘れていたような友達と急につながりができる。
そしてまた一人、思い出でしかなかった人が、現実に存在する人に復活した。
人との出会いって、関数の交点みたいだなって思ってた。
横軸が時間軸で、縦軸が場所だとして、自分関数と、誰かの関数が交わるってのは、ある同時期に、同じ場所に存在すること。
地元から離れ、流動的に動くようになって、ますます。
そんな私のイメージから離れ、座標軸の中には表せない、でもつながってる友人が増えたなー。