cikringoの日記

マイペースに思いのままに書いてます。出産を機に180度変わった生活や価値観。どこかに吐き出してないと…と。王さまの耳はロバの耳に出てくる穴みたいな場所。

そして母になる⑦里帰り出産

実家の両親が待ち構えていたことや、夫の仕事が忙しいこともあり、迷いもありつつ里帰り出産だった。

大学を出てから10数年。
お盆とお正月に数日滞在するくらいで、日頃も時々連絡を取るくらいだった。

決して嫌な環境ではないけど、子どもの頃みたいによいこにしてないといけない気もして、何ヵ月も生活できるかなぁと心配してた。


両親は些細なことで、すぐに言い合いをし、それがプチストレスだった。

母は口が悪い。
口撃では、父は勝てないから、態度が悪くなり、ますます母を怒らせる。
みたいなことが日常だった。

でも、ケロッとしてるので、二人にとっては、そんな言い合いも「罵り愛」だったのかもしれないけど、その中に巻き込まれていってたので、精神的によくなかった。

胎教に悪いからと言い、お互いに思いやりの精神でお願いします。
ってことを繰り返してた。

外出もそうそうできないし、引きこもっては本を読んでた。
これまで気になってたけど読めなかったやつとかを。

あとは、無性に数学がやりたくなって、古い参考書を引っ張り出してやってみたり。

自由だったぁ。


あとは、ネットで、出産やら育児に関する情報収集。
生まれる前兆とかについて、調べまくってた。

里帰り先の病院も、妊娠がわかって、早めの段階で予約してた。
けど、予約っていっても、いつ生まれるかほんとわかんないから、部屋を押さえててくれるわけでもないし、何か向こうに準備があるかといえば、そうでもなさそうだった。

里帰りで、これまでやってた家事レベルの運動もしなくなり、体重増加にも拍車がかかったのかもしれない。

あと、出産に関するかととか、育児に関することは、祖父母も何10年も前のことで、断片的にしか覚えてない。
そして、私が新米ママなように、新米じじばばなわけで、みんなであたふたばかりだったなぁと思う。



いや、贅沢な悩みだったのは間違いなかったけど、早く帰りたかった。

すごく感謝はしてて、他人だとそれ以上はないけれど、親には感謝しつつも甘えやわがままが出てしまう。

結果、出産後3ヶ月くらいお世話になるつもりでいたけど、「何もかもよくしてもらって申し訳ないけど、早く帰りたい」って泣きながら訴え1ヶ月半で自宅に帰った。

他人には絶対に言えないだろう、究極の甘えだと思う。
自分は、親から自立することばかり考えてたけど、完全に自立なんてできないもんだなぁって思った。

でも、もし、もう一人とかってなったとしても、お世話になるんだろうなって思う。

そして母になる⑥妊娠中の体の変化

妊娠中は自分のからだが自分のものじゃなくなっていくみたいだった。
それが新鮮でもあり、戸惑いでもあった。

■つわり
つわりって、医学的にもはっきりとした原因はわからないらしい。
精神的なものも関係するとかしないとか、一人目と二人目でも違うとか、俗説いろいろ。

私はつわりらしいものを感じる機会はついになかった。
吐き気とか、体調不良とか。
会社の上司にも何度も何ともないの?と聞かれた。

強いて言うなら、一時期すごくおなかがすくことがあった。ぐーぐーお腹がなってた。
食べてないと気持ち悪くなる「食べづわり」ってのもあるらしいけど、気持ち悪くなるほどじゃなかった。

あと、何をしてても眠くて仕方なくなる時があった。

軽かった(無かった)ことで、初期は妊婦の自覚が薄く、いつも通りだった。

■体重
胎盤や羊水、胎児の発育に伴って体重は増えた。
昔は「二人分食べろ」とか言われてたらしいけど、今は体重管理が厳しいところが多い。
これも、妊娠高血圧症を防ぐため。
体形によって何キロまで増えて良いとか目安がある。
それでも、やせ形のひとで最大12キロだった。

里帰り先の病院が体重管理が厳しくて、臨月ですでに妊娠前+10キロだったので、そのままキープするように言われた。

だけど、妊娠前とさほど変わらない量しか食べてなかったから、減らすのも変だ…と思ったけど、減らすように言われてビックリした。

それだけ飽食の時代ってことなのかもしれないけど…

私の場合、体重が増えた分実になってるというよりは、むくみだった。
からだが水分を蓄えてたみたい。
それで、出産後は体から水分が面白いように抜けて、あっという間に体重も減っていった。

体が重くなる分、足への負担は大きかったかな。立ち座りがおっくうだった。

■あそこ
妊娠中のエッチはこわかったけれど(特に安定期までは)、普通になら、しても大丈夫なようで、禁止はされなかった。
7ヶ月くらいまではしたかな。

だけど、からだがエッチするモードになる必要がないからか、あそこが濡れるけれど、さらさらしてた。
粘性が弱い…というか。

出産後は濡れないって事態に見舞われて焦ったけど。。


■メンタル
よく、マタニティーブルーとか、産後うつとか言われてる。
ホルモンバランスの関係で、精神的にも不安定なんだとか。

自覚はしてなかったけど、産後は実家でそれこそ10年ぶりくらいに家族と暮らすと言うことで、育児っぷりも見られてるようなプレッシャーを感じて、鬱々してた。

3ヶ月くらいお世話になるつもりでいたけど、お互い耐えられなくなり、1ヶ月半で自宅に戻ってからは、伸び伸びと過ごせるようになった。

けど、夫にたいして、厳しくなってしまったかも…

■おなか
当然大きくなります。
前に突き出るように大きくなるタイプと、横に広がるように大きくなるタイプがいるようで、私は前者だった。

下が見えなくなったり、かがむのにお腹がつっかえたりするのを体験しては、太っておなかが出てる同僚(男)を思いだし、親近感を抱いてた。

あと、妊娠線(肉割れみたいなの)は、できなかった。乳液+オリーブオイルで対策してた。
予防する高いクリームにはお世話にならずにすんだ。


■胎動
その内、お腹が動くようになる。
最初は、ぶつかるような叩かれてるような感覚だったのが、赤ちゃん的にもだんだん狭くなって空間に余裕がなくなってきたことで、ぐにゅぐにゅと手足を伸ばす動きに変わっていった。

胎動感じて、ようやく、お腹に何か自分じゃないものがいるなぁって気持ちを持てるようになった。

■肌
化粧水とかつけなくても、潤ってる!って感じだった。肌トラブルもなく、女性ホルモンサマサマ!

■毛
女性ホルモンのおかげなのか、手足の毛が薄くなりました。
そして、おそらく、髪が多くなってた。
その反動なのか、今抜ける抜ける!
髪洗う度に、ひぇーって感じです。



妊娠が終わると、良かったことも不便たったことも、無かったことのように元通りになっていった。


自分の意思とか、意識とか関係なく、プログラム通りに変わっていく経験を通じて、
「自分」って存在が、自分の知らないものに操られてる「入れ物」って感覚をもった。

人類が皆、兄弟

みたいな気分になってた。

そして母になる⑤妊婦検診

妊娠検査薬で陽性になり、初めて病院に行った時点で、
「2ヶ月です」
って言われた。

生理遅れて1週間なんだけど…と思ったけれど、前回の生理開始日から数え始めるのでそうなる。
だから、受精する時点では、妊娠半月。
生理が始まった女性は、全員妊娠1か月目状態ってことになる。

変だけど、それで出産予定日を計算する。
私も1日しかずれなかった。
どんだけ人のからだってすごいんだと感心した。

毎回の妊婦検診は、自費だと五千円前後かかるけれど、14回分は市からの助成券をもらえたので無料だった。

住民登録している都市の病院に行く必要があるけど。
私も後半は里帰りだったので、自費だったけれど、その分も後から請求すれば戻ってくる仕組みだった。

妊娠・出産して感じたのは、けっこう国に応援してもらってるなってこと。
教科書が無料だった頃に感じてた感覚を思い出した。

出産費用も健康保険の、出産一時金でほぼ賄えた。

税金も健康保険料も活きてるんだなぁとありがたく感じた。


最初の頃は4週間に1回、後半は2週間に1回、検診があった。

私は、円錐切除手術で切り取った分、入り口がみじかくなっていたので、流産しやすい初期もその経過を見るために2週間に1回行った。

膨らませた風船を縛った形に例えられる。
風船が子宮で、縛り口の下が子宮頸管。
子宮が大きくなると、入り口が開いていき、子宮頸管が短くなる。

子宮頸管がゼロになると、いよいよ出産になる。
だから、いざ出産ってときまでは、かたく閉じていてもらわないといけない。

長さがある方が有利。
あとは、頸管の閉じてる力。

短かったり、頸管無力症っていって閉じる力が弱い人はそこを縛る手術が必要。

けど、最近、短いから必ずしも早産のリスクが高まるわけではないってことになってきてて、逆に手術をすることで刺激してしまい早産のリスクが高まることもあるってことになり、判断はこちらに委ねられた。

お医者さんが判断つかないものをこちらに投げられてとても困った。

またまたネットにお世話になっていろいろ調べまくり、縛る手術はしないことにした。

頸管の長さが27ミリで20ミリ切ると絶対安静って言われ、日常生活も気を付けることにした。
結局、流産にも早産にもならず、予定日+1日ってところまでいけた。


毎回の検診では、尿検査とエコーがあった。
胎児の発育状況と母体の安全をチェックする。
胎児の発育は、頭の直径と腹部の周りの大きさ、大腿骨(ももの骨=人の体で一番大きな骨)の大きさから体重を計算する。
あとは、心臓のうごきとかみてた。

だんだん人間らしくなってきて、指が五本ありますね!とか、ついてますね(男の子♪)とか、毎回会いに行くのが楽しみだった。

最近は4Dとかって言って、立体的に見える機械もあって、生まれてきた時の顔は確かにお腹の中のこの顔だ!ってわかる精度だった。

母体のチェックは、尿検査で尿糖やタンパクの値を調べられた。あとはむくみと血圧。

どれも妊娠高血圧症(昔の妊娠中毒)を防ぐのが目的。妊娠高血圧症になると、胎児に栄養がいかなかったりするからと習った。


そんな感じで妊婦検診は、毎回楽しみに行ってた。


妊婦特有の病気とか、知らないこともたくさんあった。
病院によって機械やサービスは違ったけど、そういう点では大学病院は最新の機械を惜しみ無く使ってくれてた。


つづく

そして母になる④子宮頸がんの治療

担当になってくれたのは、女性の先生だった。40手前くらい。
本当は電話では伝えられないはずの検査結果を聞かれて、言えませんとか言わなかったあたりに好感が持てた。

病院に行くまでに、ひととおり学んでおいた。

Ⅰaってのは初期の段階で、子宮頸部っていって、子宮の入り口部分までしか広がってない状態だった。

ポイントはガン化してしまった組織が子宮頸部の表面にとどまっているのか、浸潤っていって、内部にまで進行してるのかってところだった。

その表面のことを「上皮」といって、上皮までしか広がってないようなら、子宮の入り口を円錐状に切り取る手術ですむけれど、浸潤してたら子宮の摘出の可能性もあった。

円錐切除手術なら妊娠・出産は可能だけど、子宮摘出したら当然妊娠できない。

その頃は結婚もしていなくて、でもその内するかもなってところだった。
けど、仕事も乗っていて、子どもを生むタイミングとか本当に難しいって考えてた時期だったから、もし、子宮摘出ってことになれば、それはそういう運命だったんだなーと諦めて仕事に打ち込もう。そういうのも有りかなとか、自分を説得することも考えてた。


結果は、浸潤していなくて、「上皮」でとどまっていたので「上皮内がん」ってことだった。

円錐切除手術で、二泊三日の入院で済むと。費用も五万円くらい?だったと思う。
母が女性特有の保険を私にかけてくれていたので、保険金がたくさんおりた。


手術前に、手術しても大丈夫な体かの検査があった。
手術の前日から入院した。翌日の流れの説明や安静にすること、体のなかを空っぽにすること、そんな風に過ごした。

全身麻酔をかける必要があるからと、麻酔科の先生からの話があった。
全身麻酔ってところに、母はビビってた。

翌日、手術は午前中から始まった。
行きは自分の足で行った。

手術台に乗り、横向きの姿勢で背中?に麻酔をされ…そこからは記憶がない。
気づいたら、終わりましたよと言われ、切り取った組織見ますか?って言われた。
首を左右にブンブン振った。

一度目覚めたけど、それからしばらく眠り続け、母を心配させた。

動けずトイレにも行けないから、おしっこの管を取り付けられてた。
知りたくないけど、どんな仕組みだったんだろうって不思議。

だんだん感覚も戻ってきて、入院生活は問題なく終わった。

傷口がふさがってかさぶたみたいなのが取れるときに出血することがあること
他にひどい出血があれば連絡することを言われた。

妊娠も出産も可能。だけど、入り口部分を切除した分通常より短くなってるので、流産・早産のリスクは高いこと。
妊娠したときには入り口を縛る手術をしないといけないかもしれないことを言われた。


予告通り?1か月後くらいに、大出血して、さすがにこのままだと失血死してしまうんじゃないかと思って、夜中に病院に歩いていった(1分だったので。ちなみに消防署が道路挟んで向かいだったから救急車もすぐ来ただろうな…)
そんなオプションはあったけれど、治療は終わった。

ワクチン接種を勧められたので、接種した。
定期的に検診に行くようにも勧められた。


妊娠すると子宮頸がんの検査ももれなくついてくるので、このタイミングしゃなかったら、妊娠と同時に判明したんだなって思う。

そのとき、ひょっとして進行していたりしたら…と考えると恐ろしい。

ワクチンのことも問題になっているけど、子宮頸がんは防げる病気なので、ワクチン接種やコンドームつけさせることで、自分自身も授かる命も助かる。

女性は、自分と自分の未来の子どもを守るためにきちんとリスクを知らないといけないし、エッチについて勇気も必要。
男性も、思いやりのあるエッチをしてほしいな。

ともかく、私は本当にラッキーだった。

つづく

そして母になる③子宮頸がんになったこと

①で言ってた、妊娠じゃないエッチの怖さは病気のリスク。

子宮頸がんは、HPVウィルスが原因で引き起こされる。
エッチをすることで感染する。
もちろんナマですることで、感染する。

そのウィルス自体は珍しくないらしく、感染してもたいていの場合は自然に体外に排出されるらしい。

ただ、まれに運悪く?発症することがあるのだとか。

エッチによって感染するわけだし、ナマでやった可能性が高いわけだし、恥ずかしい病気なのかなと思ったのを覚えてる。


自分ががんって知ったきっかけは、いくつもの偶然が重なって。

その半月前くらいに、不覚な形でエッチした。酔って意識も飛びかけているところをやられてしまった。

柔道の選手が、酔った女の子襲って、同意の上だとか、違うとかそんなニュース見るたびにあぁって反省する。

しらふだったら絶対してない。
酔った状態で同意って言われても反論できない。私にも隙があった。でも卑怯だ。

実際、記憶もあいまいだったので、中出しされてなかったかとか、色々心配した。
そんなとき、生理じゃないタイミングで少量出血した。

変な病気をうつされたんじゃないかとか、変なことされて傷ついたのかとか心配した。

彼氏には言えなかったけど、元カレには出血したことを言えた。別れてるからかな?
すると、泣きそうなテンションで、病院に行ってーって言われた。

変なことになってなかろうかと言う不安と、元カレからの説得により、病院に行こうと思った。

当時、県立病院から徒歩1分のところに住んでたので、病院に行くことのハードルが低かったのは幸いだった。


不正出血と言われた…ストレスとか、ホルモンバランスの崩れで、珍しいことではないと思うと。
そこで子宮頸がんの検査も勧められた。どちらかと言うと、検査の必要があるからというより、広く受けてほしい活動の一環みたいな感じだった。

何かあれば連絡しますと言われた。なければ連絡はないと。


そして数日後に連絡があった。

検査結果について、お話ししたいことがあるから来てほしいと。

がんってことですよね?って落ち着いて尋ねると、電話で伝えるのは…と濁されつつ、Ⅰaっていう初期の状態だと教えてくれた。

電話かかってきた時点で何かあるってことだし…

そこから、ネットでいろいろ調べた。

HPVウィルスに感染してから発症するまでに長い時間がかかること
Ⅰaからの死亡率は高くないこと
治療方法について

等々。
とりあえず、死ななそうってことと、ヤバイとこの一歩手前だったってことがわかって、情報をひととおり入れてしまうと、そんなに怖くなくなった。

がんって聞いても、倒れるようなショック受けたりとかなかった。
いろいろわかるまで誰にも言わずに一人で調べた。その辺は冷静だった。

ビックリしたけど、見つかってラッキーだった。いろんな偶然が重なった。

良かった、見つかってー。とか思うのと同時に、やっぱりナマでしたりしてきたのは、甘かったなと反省した。
そして、避妊を嫌がってた当時の彼氏にも腹が立った。

だから、エッチが原因でウイルスに感染してガンになったこと、あなた自体がそのウィルス持ってるから、他の人も感染させる恐れあるよと脅しておいた。

つづく

そして母になる②産婦人科というところ

陽性反応が出たので、その数日後に病院に行った。


以前に大学病院の産婦人科にお世話になったことがあったので、そこに行った。

尿検査をして、待合室へ。
その後、個人病院の産婦人科にも行ったので、そこと比較すると、大学病院の産婦人科は、診察する先生も複数いて、患者さんも妊婦さんもいれば、おばあちゃんくらいの年齢の人もいた。

不妊治療の方とかもいたのかな?とか考えてしまうけど、妊婦と不妊治療の患者さんが同じところで診てもらうのは、お互い気まずくないかな?と思った。

まさか、何で来られてるんですか?とは聞けないので、想像だけれど。

診察では、「内診」があった。
よく、エコーをお腹にあてて…みたいな画をみるけど、あらはだいぶ大きくなってから。

それまでは、下から棒みたいなのを入れて検査する。

診察室と内診室は別で、内診室には座ったら、電動で座面が上がって開脚するイスがある。
カーテンでお医者さんとは顔があわないように配慮されてたけど、最初はそんなことも知らなかったから、ナニするんだ!ってビックリしたのと、恥ずかしかった。その内、慣れたけど…。

でも、下から何か入れられるのにはいつも抵抗感があって、気を紛らわすために、手をつねったり、髪を引っ張ったりしてた。

その病院では、妊婦検診は当番の先生が診てくれる感じで、特に担当の先生はいなかった。女の先生がけっこう多くて、そういう面では抵抗感も少くて済んだ。
あと、電子カルテ?なのか、パソコンですべて管理されてて不便は感じなかった。



エコーでは、胎のうっていう赤ちゃんを包んでる袋が見えた。小指の先くらいの大きさって言われた。

自分のなかに自分以外の何かいる!みたいな感情はまだ持てなくて、どちらかと言うと、レントゲンで自分の肺の映像見てる感覚に近かった。
特殊かもしれないけど…


産婦人科というところ=産科+婦人科

産科は文字通りお産に関わる診療科
婦人科は子宮の病気とか女性に特化した診療科

女性ってカテゴリーでくくられるのはわかるけど、やっぱり同じとこで待つのは違和感だったな。

つづく

そして母になる①妊娠するということ

妊娠・出産するまで、自分の体のことなのに、どうなるのか知らないことが多すぎた。

とても大事なことなのに、学校では教えてくれない。
私の場合、親とも友だちともそういう話をしたことがない。
友達からもそういう話をされたことないし…男子同士では、エッチな本とかビデオとか共有するんでしょ?(イメージ)
女の子同士ではあまりエッチの話とかあまりしない気がする…(私の周りだけ?)

スマホを手に入れてからは、私の情報収集力も飛躍的に上がったけれど、それまでは少ない情報のなかで悩むことも多かった。

そんな私が悩んだこととか、はじめて知ったこととか、忘れない内に書き留めておこうと思う。


エッチしたら妊娠するのか、ナマでしたらヤバイのか…
最初はそんなことすらもわからず、ナマで入れて外出しされた時もこわくてブルーで次の生理が始まるまで鬱々としてた。


ゴムつけて!ってきちんと言えることが大事だったのかもしれないけど、もうスタートしてしまったら、ちょっと待ってとか、やっぱりダメとか言えなかった。

特に、自分の方が惚れてるな…みたいな相手には。

妊娠する・しないってことだけじゃなくて、そういう恐怖と戦ったり、ブルーになったりする負担が女性側にはある。

だから、必ず避妊してくれる人には思いやりとか愛情感じた。


結果的に、ナマで入れられただけでは妊娠しなかった。
中で出されたこともあったけど、妊娠はしなかった。

元カレの中には、全くゴムをつけない人もいた。

生理と生理の間の排卵に合わせたタイミングじゃないと妊娠できないと知ってからは、知らないことでの怖さはなくなった。

麻痺してたって言うのかな。
だけど、こわいことは他にあった。
これはまた今度。

結婚してからは避妊しなくなった。
何かで調べたときに、排卵期に合わせてエッチして妊娠する確率が3割くらいって見たことがあった。
男女とも生殖力が良好だとして。要は3回に1回くらい?個人差もあるんだろうけど…。
ちなみに、生物としては、生殖能力低いらしい。

結婚するまでは、妊娠することにビクビクしてたけど、結婚してからは、自分が妊娠するのかってことにもやもやした。

これまで妊娠しなかったから、自分が妊娠できるかどうかはわからないし。

夫の親戚は、その辺がアケッピロゲなひとたちで、まだか?みたいなことも普通に云われてた。

結果的に、自分達に照らし合わせても、多分今がそのタイミングだなぁって思えるエッチを考えると、3割くらいの確率で妊娠したかなと思う。


テレビとかでは、「うっ…」とか吐き気を催して、「もしかして…」なんて展開になるけど、そんなことはなかった。
(鈍感なだけだったかも)

おかげで、回転ジェットコースターに4回乗ってしまったし。

判明したのは、生理が遅れてたから。
1週間遅れてたので、どーかなと思いつつ、妊娠検査薬で調べた。

妊娠すると尿中に増えるホルモンを検出するようで、精度もかなり高い。
私は1週間後に調べて陽性反応が出た!


つづく